電通マン

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20110211/1297413860

たとえばあるチームのプレゼンを見たときの僕の反応を淡々と書いてみよう。
最初はプレゼンから目を背けたくなった。社会問題を扱うと、ときどきそういう写真を見なければならないこともある。でも、次のスライドを見て、衝撃を受けた。そして次、涙がにじんだ。この時点で僕は点数表に10を5つくらい書いた。で、次、驚いた。で、次、嫉妬した。で、次、殺意が芽生えた。で、最後、後悔した。


なんだろうね、この企画書。
こんな企画書、見たこと無い。


もし仮にだけど、うちの社員がこの企画書を書いて持って来たら、僕は迷わず相手を抱きしめただろう。抱きしめるっていってもハグだよ。


詳しく書けないのが本当に残念なんだけど、この企画がどのくらいすごいかって言うとね、まあこういうこと言うと、語弊があるかもしれないけど、僕は数年前に似たような経験をしたことがある。


ニコニコ動画の企画の方向性が決まったときだ。
よし、まずYoutubeを使おう、Youtubeから切られたら、自社で動画サーバ作ればいいや、ひろゆきに見せて、彼の意見を聞こう。それでもって、最初は何千万という予算がかかりそうだったけど、その数十ぶんの1の予算でできることが解ってしまった。
これがわかったときの興奮というのは、凄いものだった。
絶対に当たる、と思った。
だいたいそうだけど、絶対に当たる、と思ったときの予感はまず外れたことがない。
残念ながらこの「絶対に当たる」という予感がすることが滅多にないんだけどね。

もちろんニコ動と性質は違うけど、素晴らしく研ぎすまされたアイデアだけが持つ、輝くような魅力に溢れていて、しかもものすごい低予算で今すぐ実行することができ、なおかつとてつもない効果を見込め、そして非常に深刻な社会問題を扱っているにも関わらず、誰もが参加したくなるほど愉快で楽しくて、それ自体がライフスタイルの成立を大きく変えるムーブメントになる可能性を内包していて、なおかつ日本だけでなく、世界中に広げていけるような大きな可能性を秘めていた。


ひょっとするとだけど、ニコ動よりも世界で広がるのは早いかもしれない。


率直に言って、非常に悔しい。


というのも、アイデアを構成する要素は総て僕にとって既知のものだった。
なおかつ、いくつかは僕が専門的に知っているものであり、それでもって、ねえ。ウズウズするほど参加したくなる、作りたくなる、遊びたくなるような魅力を秘めていた。


しかもニコ動と違って、なんかいろいろヤバい感じとか、コンテンツが集まるか心配する感じとか、そういう心配が一切無い。いますぐ、誰の協力もなしで始めることができて、なおかつ、電通ならもっとそれを広げることができる。巨大かつ強大なムーブメントにすることができるのだったら、これは凄いことだ。

やっぱ電通マンすげえ。
彼らが電通マンであることが、むしろ勿体ない。


だってさ、クライアントに提案するタイプの仕事というのは、結局、クライアントの担当者の能力に制約を受けちゃうんだよね。


AppleがめちゃくちゃカッコイイiPhoneやMacBookAirを作れるのは、ジョナサン・アイブがいるからではなくて、スティーブ・ジョブズがジョナサン・アイブのセンスを理解しているからだ。


なぜなら、ジョナサン・アイブってのは、ジョブズが復帰する前から、あの冴えないデザインばかり作ってた頃のアップルに居たわけだからね。


だから、優れたクリエイターというのは、スーパーカーに似ている。
間違いなく、スーパーカーは速く走ることができる。
が、誰が運転しても速く走れるわけではない。


電通マンがどれだけ優秀でも、電通の仕事は、結局、下請けだ。
クライアントの宣伝担当者がクビを縦に振らなかったら、どんなにすごいアイデアも、霞んでしまう。

なぜならここまで圧倒的だと、誰の目にも解るのだ。そのアイデアの素晴らしさ、力強さが。

 「それか全員、うちの会社に転職して来てほしい。悔しい」

高いと言われる電通よりも高い給料を払ってもいい。
というか、僕よりも高い給料を払ってもいい。それくらい、素晴らしい。
というか、こんな才能が電通なんかでご用聞きをしてるのは勿体ない。

くっそ。なんだこれは。なんなんだこの連中は。僕と同年代のくせに、僕よりずっと冴えてる。
柔軟で、賢くて、イケてる。なんだそりゃ。当たり前だけど、これがエリートの底力というものか。