メモ

http://www.mdn.co.jp/di/articles/574/?page=3

何を間違えたのか、私にFlashの仕事を発注してきた人がいたんです。Action Scriptができるとか、間違った情報が伝わっていたんですね。私もよせばいいのに「できますよ」と言ってしまった。


受けてから「覚えなければ」と一所懸命、勉強してやりました。いま思い返すとひどい行動だったのですが、そこそこネバったのが利いたのか、結構評価を受けて「東京インタラクティブアドアワード」に入賞してしまった。こ

同年代の人たちが相当活躍されている。しかも自分がチマチマ作っているものより、よっぽど激しいことをやっている。非常にジェラシーを感じて、眠れない日々が続いたんです。嫁が心配するほど眠れなくて、もうどうしようもないから「こういう業界に就職してみよう」と思いまして。

他の会社も受けたのですが、年齢が30歳に近かったのもあって落ちたんです。これはダメかな……と思っていたところ「ノングリッド」(現在はイメージソースのグループ会社)の応募要項に「体力がある人」と書いてあって。で、応募したら社長が「なんか面白そうだから」という理由で採ってくれたんです。

私の場合──そのとき29歳だったのですが、かなり背水の陣なんですよ。やっと「やりたいことを見つけられた」と。一方で、業界には同世代ですごく有名な方々がいらっしゃる。自分は立ち後れているな、と。


人の5倍ぐらい働かないと追いつけないという思いがありました。東京出身ですが「ここで頑張らないと故郷に帰れないぞ」というイメージで入社したところがある。最初の給料も「18万円でいいです」と言って入ったんです。でも、本当にそのくらいだったときはビックリした(笑)。

社長は私が何ができるのか、まったくわからないまま採用しているので「まあFlashでも組んでみなよ」と。で、作ったものを見せて、段々任せてもらえるようになっていきました。最初のスピードは早かったですね。背水の陣でのぞんでいるから自分で仕事を見つけるようなところがあって、自分の手があいたら人の仕事を手伝ったり。で、直属の上司のディレクターが一杯一杯になったら、スケジュールを引いたり進行、ディレクションも引き取るような感じになっていったんです。


ええ。かなり躁的に仕事に取り組んで……あまり帰宅しないから嫁には評判悪いのですが、どんどん人の領域に侵入していった。すると半年ぐらい経ったときにはディレクターとして頭数に入れてもらえるようになったんです。

逆にデザインそのものには限界を感じていて。


手を動かして絵を作っていくのって、抽象的で答えがない世界じゃないですか。逆にプログラミングだと答えが出る。もちろん、動きとかはきっちりデザインしていかないとならないけど、そっちは感覚でわかるようになったんです。一方、絵やレイアウトというものは技術的なところまでは行けるんだけど、世間で活躍しているアートディレクターやデザイナーさんの領域に行ける気がしなかった。


──次第にインタラクティブな方面への興味が?


そうですね。そっちのほうが手を動かしやすいし、自分として善し悪しがわかる。結局、デザイナーって自分が絵が作れなくても。善し悪しがわかれば伸びしろがあると思うんです。ただ、その善し悪しがわからないと、ずっと迷い続けてしまう。私は限界を知って、諦めが早かったと思います。いまもたまにデザインをやったりしますが、基本はディレクター兼エンジニアですね。

結果は出せていると思います。ただ、それは単純に入ったきっかけがミーハー根性だったからです。周りの人がいいものを作っていたり、業界的に評価されたいという小さいところだったので。その目的はほぼ達成できてしまっていますが……

あえて申し上げたいのは「デザインにこだわらないべき」です。デザインという仕事はものすごくコンテクストが広くて、単純に絵を作るだけの仕事ではありません。Webサイトの構造をデザインしたり、人を引き込む構造を考えるのもデザイン。絵を作ることだけにこだわっていると、ただの絵を作る人になってしまう。


http://www.digitalmotox.jp/blog/2011/02/programmer.html

スキルは勿論だが人物がスゴイ!お願いする時はタダなので土下座が基本、そして何事も頑張る動機は全てが怨念・・・人が褒められてたりすると腹が立つ・・追い抜いてやる!の感情が一番強いとの本音トークで会場を沸かせてました