メモ

貧乏子沢山なWEBサービスという戦略
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090505/1241513109

まして自由競争であるビジネスの場であれば、参加者が多い競争に飛び込むこと自体が、成功の確率を極端にさげる。リスク少なく少人数でWEBサービスをたくさんつくるというプロとアマチュアの垣根があいまいな競技の参加者なんて、多いに決まっているだろうから、そこでの勝率も割にあわないものになっているだろうことは容易に想像がつく。


こっちの世界に飛び込んだのは、少人数でWEBサービスをたくさんつくる、ということをやりたかったからだ。
勝率がわりに合わないことを覚悟の上で。
参加障壁っていう意味では大企業の社員でいりゃよかったってことになる。


最近、自分は会社でやることのメリットをうまくいかせているのだろうか?
さっさと手を動かしたいのに、会社員であるがゆえのオーバーヘッドを抱えていないか?
と自問してみたけどフリーのときより開発に集中できてるな。まだok。



たくさんWEBサービスを量産するということはどういうことだろうか?それはプラットホームとしてのWEBサービスではなくコンテンツとして消費されるWEBサービスへの道だ。プラットホームとしてのWEBサービスはもはや個人でほりあてられる余地は残っていない。検索サイト、ECサイト、ブログ、SNS、動画、イラスト、ミニブログなどなど、ジャンルの数なんて、プレイヤーの数にくらべて圧倒的に少ない。


しかも、もうネットの発展も初期段階を終えて、今後、発見される新規ジャンルは、だれでも採掘できる地上に転がっているよりも地下に埋まっていることが増えていくだろう。ただしい鉱脈の場所を見つけ出しても、実際に掘り当てるためには、個人ではできないぐらい深くまで坑道を掘らなければならないケースが増えていくだろう。

  • 「プラットホームとしてのWEBサービスではなくコンテンツとして消費されるWEBサービス」という言い回しに、すごく思い当たるフシがある。「今期、プラットフォーム2つつくる」と宣言しようとしたら、それはプラットフォームじゃないよ、と指摘されたこと。正直、自分がやりたいことは、「コンテンツとして消費されるもの」だ。つくってさっさと次いきたい。運営とか、発展させるとか、あまり興味ない。
  • 「ただしい鉱脈の場所を見つけ出しても、実際に掘り当てるためには、個人ではできないぐらい深くまで坑道を掘らなければならない」というのもすごくピンとくる。同じ概念を思いつく人はたくさんいる。実際やってみるとすごく時間かかる。自分でも「表からみるとたったこれだけのことなのに、何でこんなに時間かかったんだろう?」と思ってしまったほど。一見同じようなサービスでも、ほんのちょっとしたところのディティールの積み上げでユーザーの印象は全く変わってくる。残念ながらそこは減点方式なので、プログラマとしてはなかなか報われないのだけど。(減点でボコボコにされてた例:一見楽しげなUIでレビューはボロボロだった某国産サービスのiphone版)

イデアなんて良くてあたりまえだ。駄目なアイデアがあまりにも世の中にあふれているからアイデアに価値があるように錯覚しがちだが、優れたアイデアですら、ありふれていることには変わりはない。

優れたアイデアがひとつあれば、そこをとことん追求し、さらに総合的な実行力が加わって、あとはどこまでの効率的な追加リソースをぶちこめるか。
そこでやっと現実的な成功の可能性がでてくる。

別にプラットホームをとることなんて最初から狙っていないというなら、それでいい。それはコンテンツとして消費されるWEBサービスの道だ。


個人のセンスと才能で勝負できる世界がそこにはできるかもしれない。個人の能力で勝負できるという意味においては、音楽や小説・マンガと似た世界ができるかもしれない。でもそれらとは違ってコンテンツ化されたWEBサービスはあまり儲かりそうにない。


そこの世界の胴元はgoogleamazonだ。収入はすべてPVやユニークユーザに比例する世界だ。新しい音楽や斬新なWEBサービスもすべて2ちゃんねるまとめサイトなんかと同じ土俵=コストで競争しなければいけない。


コストがかけられないからと、ひとりでつくる。確かに潰れないサービスができるかもしれない。


でも、ただ、それだけのことだ。その先になにがあるというのか。